山線鉄橋
山線鉄橋

山線鉄橋は、明治32年に北海道官設鉄道上川線に「第一空知川橋梁」として空知川に架けられていたものが、大正12年に王子製紙の専用軽便鉄道として現在の場所に移された、英国製ダブルワーレントラス橋です。
軽便鉄道は明治41年から昭和26年まで運行しており、「山線」という名は、苫小牧から日高方面海沿いに走っていた鉄道を「海線」と呼び、支笏湖方面に走っていた鉄道を「山線」と呼んでいたことに由来します。
大正11年頃からは一般旅行者も軽便鉄道の便乗を許されましたが、資材運搬を目的に運行していたため、切符の裏には「人命の危険は保証せず」と書かれていたと言われています。
昭和26年8月、急速に進んだ道路整備により軽便鉄道が廃止され、山線鉄橋も鉄道橋の役目を終えました。その後、昭和42年に支笏湖のシンボルとして王子製紙から千歳市に寄贈され、道路橋・歩道橋として長年利用されてきました。
老朽化の著しかった橋は、市が平成7年から3年間にわたる解体修復工事を行い、再生されました。生まれ変わった山線鉄橋は、平成19年11月「洋紙の国内自給を目指し北海道へと展開した製紙業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産に認定されました。さらに平成30年11月には、その工学的、歴史的な価値が評価され、土木学会の「選奨土木遺産」に認定されました。

詳細情報

住所千歳市支笏湖温泉
備考土木遺産「支笏湖・山線鉄橋」のデジタル観光資源としての可能性に関する調査